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トーチカ(戦跡)
太平洋戦争終戦間際、志布志湾は本土決戦の地として想定され、昭和19年(1944年)の夏から迎撃のための軍事施設が、大崎町内の金丸・崎園・谷迫に敷かれました。写真は西持留に残るトーチカと呼ばれるコンクリート製の防御陣地で、主に志布志湾の監視を行っていたようです。大崎町には砲台陣地や防御の壕などの地形を利用した施設が数多く残っています。
太平洋戦争終戦間際、志布志湾は本土決戦の地として想定され、昭和19年(1944年)の夏から迎撃のための軍事施設が、大崎町内の金丸・崎園・谷迫に敷かれました。写真は西持留に残るトーチカと呼ばれるコンクリート製の防御陣地で、主に志布志湾の監視を行っていたようです。大崎町には砲台陣地や防御の壕などの地形を利用した施設が数多く残っています。